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【皇太子夫妻にまつわる怖い話】 第三十六話


[550]本当にあった怖い名無し:2007/04/22(日) 23:37:34 ID:gdyMi4rj0
川口素生『小和田家の歴史』    さて、江頭豊氏の祖父・嘉蔵氏は明治維新までは肥前佐賀藩主・鍋島家の家臣 であったといわれる。ところが、明治初年の二種類の佐賀藩 侍着到(註=現代の 出勤簿に相当)には嘉蔵氏の名が見えない。これについて、豊氏の甥(優美子さん のいとこ)にあたる作家の江藤淳(本名江頭淳夫)氏は、嘉蔵氏は佐賀藩の「手明 鑓」と呼ばれるクラスの藩士ではなかったかと推測している。「手明槍」は平時は無 役だが、戦時には槍や具足を携えて戦場に赴く者たちを指す。江戸時代中期以降 は無役だった「手明鑓」も藩の役職に採用されたし、幕末維新期には多くが鉄砲を 担当して活躍したといわれる。ただ、嘉蔵氏以前の系図や史料が現存していないた め、嘉蔵氏が「手明鑓」か否かを含めて、ルーツや俸禄などはまったくわからない。 明治維新前後、嘉蔵氏は家族とともに肥前佐賀郡北川副村木原(現=佐賀市北川 副町木原)に移り住んだ。     (  中        略  )  範貞少年、安太郎少年が学齢期を迎えた頃、父・嘉蔵氏は旧制県立佐賀中学校 (現=佐賀県立佐賀西高等学校)に子使として勤務していた。  嘉蔵氏の生年はわからないが、安太郎少年が生まれた頃、すでに四十数歳であっ たといわれる。


0ch BBS 2007-01-24